とても素晴らしい経験をしましたッ! 『ある少年の告白』(4月19日公開)を周回遅れでやっていたシネコンで観ました! 一応10スクリーン、4DXも持っている、そこそこの劇場で、平日だったけどロビーには結構人が居て賑わっていました。ところがチケットを買うと、私一人、ド真ん中を選択して会場に入ると、誰も居ない……。なんと貸切でデカいスクリーンを存分に楽しみました。初めてッ! やったゼ! ますますこの映画館を利用する機会が増えそうです。

  ルーカス・ヘッジズを立て続けにスクリーンで観ることになり、さらには役どころが近似するお話で、アメリカの若者はこんな奴なのかって印象を植え付けられそうですが、同性愛を告白した青年が矯正施設で暮らす様子が生々しく描かれています。

  この映画を観ながら、二つの事を考えていました……。一つは、ニコール・キッドマンとラッセル・クロウが演じた両親が決して悪くは描かれていないこと。自分の信条を力ずくで押しつけるような人物ではなく、自ら経営する教会で、多くの人びとに幸あらんと誠実に信仰を説く人格者なのです。キリスト教福音派の教えを心の底から熱心に訴える姿勢は地域の信頼も得る模範的市民として描かれている。

  聖書主義を取る彼らは、ひよっとすれば進化論にも疑念を抱き、堕胎を決して許さない。とりわけ神が本来あるべき姿で創りたもうた男女の性を逸脱することはあってはならないということなのだろう……。その時、『ジーザズ・キャンプ』(2006年)の光景が頭に浮かびました。

  現在、この映像を入手するのはかなり至難の業だと思いますが、極端な福音主義のキャンプで子どもたちに為される様々な躾、ひたすら神を押しつけ、進化論にたつ教育を罵倒する……。そうあらなければと思い込まされた若者が自分の中に違和感を覚えたら、どうなってしまうのでしょう。オカシイ……。自分はどうなってるんだろう? 仲間からはじかれ、努力してもなれない不甲斐なさに自己否定してしまいそうです。

  そして、ふと、「エピステーメー」という言葉が思い浮かびました。自らも同性愛者でエイズで早世したミシェル・フーコーの創り出した概念です。知の「枠組」と捉えられる、この考え方では、かつては同じ仲間内と解されていた人たちがエピステーメーの凝縮のなかで異端、異形の人と扱われます。枠組に入れないことで自分で自分を許せなくなり、傷つけようとしてしまうのです。

  外形的な枠組作りだったら、軍隊の新兵訓練なんかに見られそうですが、『フルメタル・ジャケット』の前半部分は引きつけられますナァ……。ハートマン軍曹の罵詈雑言は伝説的。いまでも多くの信奉者(?)を引きつけていそうです。この苦痛を精神的に味わうってこと。……堪らない。

  

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fat mustache

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