見逃していた『ギルティ』のDVDが出たので観ることにした。ある記事では映画のプロから絶賛続出!『サーチ』『カメ止め』に続く“新感覚映画”!! なんて、最大級の賛辞で持ち上げていたので期待は大きかったが、緊迫した緊急通報司令室というシチュエーションは『ザ・コール』で既にお目にかかっているので、何が違うの? という感じで見始めた。

 モバイルフォーンの現代では、かつての有線電話と違い音声がクッキリと聞き取れる。アナログ音をデジタル化圧縮し、受け手の受信機で再びアナログ化する音声信号処理技術によって極めて明瞭に送り手の声を聞くことができる。これには声を聞き取りやすくするために周辺の雑音をある程度カットする技術も含まれているから、相手の状況を探るには声の調子や息づかいに頼る部分が多くなるっていうことだそうだ。

 だから成り立つ緊迫感。観ている側もかかってきた電話の声の調子だけで、その置かれている状況を想像していかねばならない。かすかに聞こえる周辺音も加味しながら、どうなってるんだ? とあれこれ考えを巡らす状態に引き込まれる……。なるほど、これは映画の特性を無視した手法に違いない。なんだったらラジオドラマで充分表現できそうなものだが、これで何を言おうとするかで趣が違ってくる。

 実際に発生した誘拐事件の被害者から受けた通報で犯人に迫る『ザ・コール』は司令室内だけでなく、オペレーターは外に飛び出して犯人と対峙するが、『ギルティ』では全てが司令室の中だけで事がすすんでいく。

 過去のある事件から捜査を外れ、緊急通報指令室でオペレーターとして過ごす警察官アスガー(ヤコブ・セーダーグレン)。その日常はたわいもない通報や軽微な交通事故の連絡で退屈極まりない毎日だった。ところが、ある日、彼が受けたのは、今まさに誘拐されている女性からのSOSだった……。

 久々に感じる臨場感。彼はその相手にのめり込み、思いつく限りの想像力で救出を試みる。……、しかし、それは精神的錯乱に陥って、自らの手で我が子をあやめた母親を病院に連れて行こうとしているものだったことが判明する。逃げ出した母親に彼が語りかけるものは? ……、

 ここからは、かなり宗教色の強くなるところだが、相手に悔い改めを強要するのではなく、自身の犯した罪を告白することで平静さを取り戻させようとする彼。それは今までのキャリアを棒に振ることを意味する。誰にでも起こり得る過ちにどう向き合うか? どうすべきなのか? 観ている全ての人に問いかけるラストに重みを感じた。

広告