今年はベルリンの壁が崩壊(1989年11月9日)して30年目にあたる。だからと云う訳ではなかろうが、旧東ドイツの統一後の状況を映した『希望の灯り』が4月に公開されていた。食指は動いたものの雑事に追われて観に行けなかったが、わりと早くDVD化されたので早速観ることにした。前宣伝を見る限りでは、巨大スーパーの深夜労働に従事する青年が同僚に抱くほのかな恋心が中心のラブロマンスぐらいに考えていたが、なかなか考えさせる興味深い作品だった。

 実は、NHKのBSプレミアムで「旧東ドイツ 激動の日々」(2009年製作)の再放送をやっていたのをたまたま録画しておいたので、統一直後の東側の人びとが何を感じていたのか? 20年を経て、暮らしはどうなったのか? 少しでも得られるものがないか、注視しながら鑑賞の参考にしてみた。

 ドイツ再統一は、名目上東西ドイツの対等な統一のように喧伝されたが、誰が考えても西ドイツによる東の吸収合併に他ならないものだった。壁が健在な時代に東ベルリンに踏み入れた或る人が語っていたが、一度東ドイツマルクに交換すると、再交換してもらえないので、再び西側に戻る時にはチャリ銭まで使い切らないといけなかったらしい。しょうがないので、たいして飲みたくもないジュースを買うと、これが驚くほどの不味さ! まるで絵の具を溶かした水に甘味料を加えたような、もはや西側では絶対にお目にかからないような代物だったらしい。オリンピックなどでは華々しく活躍していた東ドイツだったが、その日用品の酷さには相当驚いたそうだ。

 その話を聞かないでも、社会主義の優等生と言われた東ドイツの国力がどう頑張っても西ドイツに比肩するものではないことは明かで、周辺ヨーロッパ諸国がドイツ帝国の再来を危惧するのとは逆に、西ドイツが背負う莫大な経済的負担を想像していたものだ。案の定、東ドイツマルクの西ドイツマルクとの等価交換を強行したため、ドイツは大きな財政危機にさらされることになった。

 だからと云う訳でもないだろうが、大挙流入した東ドイツ出身者を東(オスト,Ost)からオッシー(Ossi)と馬鹿にする風潮が広まり、ヴェッシー(Wessi)(西、ヴェスト(West)に由来する)と区別して「汚い格好」「やぼったい」「仕事のできない」といったイメージを焼き付けていったらしい。つまり、西側にすればなんで自分たちがこんなに負担しなければならないのかという不満が蔓延していたのだった。

 その上、為政者たちは社会主義時代の記念物や建造物を、まるで悪魔の所産のように忌み嫌い、次から次へと取り壊していった。挙げ句の果てには、どこでも同じような信号機すら、すべて西ドイツ製に取り替えようと、社会主義時代を感じさせる全ての物を払拭することに躍起になっていたのだ。

 そんな状況で自信を失っていった旧東ドイツの人たちは、自分たちの行く末をどう感じていたのだろう? 主人公の若者は全身にタトゥーを入れて現れる。思い描いた将来を実現できず、ワルとつるんで刹那的に暮らしていたが、ようやく深夜スーパーでの商品管理の職にありつく。そこに居た先輩は、かつて社会主義の時代には超エリート(医者なみに厚遇された)長距離トラック運転手だった人。その職場はそのトラックセンターを居抜きで使っている。

 商品はこれでもかというほど溢れかえるが、そこにはぬくもりがない。不味くて品薄だったかも知れないが、丹精込めて作られたかつての品物に感じた有り難みのカケラもなく、ただ言われるがままに仕事をこなす。そこに自然と生まれる東の時代を懐かしむムード……。

 この映画の原作は「夜と灯りと」(2008年)に収められた短編「通路にて」というものらしい。原作者が脚本も担当し、統一の熱狂が一段落した時期を描いたものらしいが、国境を越えて、効率化をはかりながら大量供給される商品の山に席巻された昔ながらの手作りの品々。なんか、失ってから気づく人びとの繋がり……、やっと気づいた頃には取り返しがきかない……。それがオスタルジー(Ostalgie)かな? そう感じながらインドネシア製のクラッカーをかじりながら書いている自分。明日は我が身かな?

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著者

fat mustache

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