フランシス・マクドーマンドという女優さんは折々に印象的な表情を残す希有な存在だ。助演で初のアカデミー賞候補となった88年の『ミシシッピー・バーニング』での保安官助手の女房役、96年の『ファーゴ』で主演女優賞の受賞。そして2017年、『スリー・ビルボード』で第90回アカデミー賞の主演女優賞を再び獲得している。

 『ミシシッピー・バーニング』はなにかと批判の多い映画で、南部諸州では大々的な興行阻止運動が起こったが、これは偏見による制圧ではなく、北東部出身のFBI捜査官が、ロバート・ケネディの命により人種差別の根強く残る南部の田舎町へ救世主のごとく現れて孤軍奮闘するというストーリーが、史実に反すると痛烈に批判されたことによる。ある歴史家は、「歴史や公民権運動を少しでも知っている人なら、この映画の描写には戦慄を覚えるだろう」と述べている。

  つまり、当時FBIは公民権運動には非協力的で、まったく当てになるような存在ではなかった。ミシシッピーを含む南部における黒人や公民権運動家たちが受けている暴力や不当逮捕などを司法省に何度通報しても、FBIが捜査するようなことはなく、政府が何か動きを見せるのは、テレビが黒人問題を取り上げてアメリカの失態が世界に報じられたときだけだったと言うのである。

  北部と南部の意識の乖離、バイブル・ベルトと呼ばれる一帯に暮らす貧しく、学歴も教養もなく盲目的にキリスト教を信奉する人たちを、あたかもどこかの発展途上国のごとく冷ややかに見下す都市生活者への不信感はずっと渦巻いていたのだと思う……。

 『ファーゴ』は、後にTVシリーズが3作も作られるほど、人びとの脳裏に焼き付いた作品なのだが、女性警察署長の大学時代の同僚として登場した日系人のおバカな醜態が日本での評価を下げてしまったのか、本国ほど話題になることはなかったように思う。ほんの手違いで単純な偽装誘拐から血生臭い殺人へと発展していく犯罪事件の顛末を描いた異色作。多彩な登場人物が織り成す、滑稽で哀しい事件を通した逆説的な人間讃歌が、えも言われぬ味わいを醸し出している。

 7カ月前に何者かに娘を殺されたミルドレッド。一向に捜査が進展しない中、業を煮やした彼女は寂れた道路の3枚の広告看板に警察への批判メッセージを設置するが、事態は予想外の方向に向かっていく。犯人は一向に捕まらず、何の進展もない捜査状況に腹を立て、警察署長にケンカを売ったのだった。その日を境に、次々と不穏な事件が起こり始め、事態は予想外の方向へと向かっていく……。

  事の発端は、町まで送ってくれと懇願する娘を冷たく突き放し、歩いて行かせたことにあるはずなのに、この母親は遅々として進まない捜査状況に怒りを向け、あらゆる手段で捜査をたきつける。一途にのめり込む行動力と不屈の精神力は一体どこから生まれてくるのだろうか……。

 ひょっとしたらアイルランド系イギリス人の監督も同じように感じたのだろうか、振り返ることなく、他者への怒りや憎悪を増幅させて、ただただ前進あるのみ、って、それがフロンティア・スピリット? なんでもかんでもガムシャラに突き進むしか自分を納得させられない姿に哀愁の念を持たずにはいられない。

 怒りが怒りを増幅し、憎悪が憎悪を生んで、限りなく続くさまを達観する警察署長。彼は近づく死期を前に諭すような遺書をしたためて自ら命を絶つ。……果たして彼女はあるべき方向へ向かうことができるのだろうか。余韻を持たせたラストは期待に満ちている。

 

 

 

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著者

fat mustache

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