令和の始まりの日、ブログとやらをやってみようと決意し、キーボードの前に座ったものの……。なかなか筆が進まず、3日もかけてしまった……。

    何から語ろうかと思ったが、ここは去年、自分が観た映画で一番感激した映画を取り上げることにしよう。『30年後の同窓会』というアメリカ映画。2017年製作、124分。日本公開は2018年6月8日。


   リチャード・リンクレイター監督がダリル・ポニックサンの小説を映画化したヒューマンドラマ。 リンクレイターと言えば『6才のボクが、大人になるまで。』のように時間の積み重ねをとても上手に表現する監督。同じキャストで12年間も撮り続ける辛抱強さ。イーサン・ホークとジュリー・デルピーが主演するビフォア・シリーズの3作はちようど9年ずつ間隔をおいて場面設定されている。その人が撮る30年後には必ず前作があるはず、と思っていたら やっぱり

 ダリル・ポニックサンの初の長編小説『The Last Detail』(1970)を映画化した『さらば冬のかもめ』(1973)がそれにあたるらしい。アメリカン・ニューシネマの傑作のひとつと称されるこの映画は、たった40ドルの寄付金を盗もうとして(つまり未遂)、8年の刑を言い渡され、ノーフォーク海軍基地からポーツマス海軍刑務所に送られる新兵を二人の下士官が護送するという話。あまりにも強すぎる体制権力に抗いきれない庶民の精一杯の抵抗って感じで観ていました……。

 ところで、原作『Last Flag Flying』の刊行されたのが2005年。なのに、リンクレイターが作品化を進めるためにあたためていた12年の間にイラク戦争の衝撃度が希薄化し、無謀な開戦への怒りが収束していこうとしている。そこで、2003年12月に時代設定されたんだそうです。この時期はあのサダム・フセインがイラク中部ダウルにある隠れ家の庭にある地下穴に隠れているところを見つかり逮捕された時です。

 リンクレイターは優れた脚本家でもあるポニックサンと共に、最初、『さらば冬のかもめ』の続編として考えていたものを、もう一度練り直し、3人の主人公の名前を変えている。だから、主人公たちのキャラクターやドラマの細部に接点は感じられるものの、全体としては独立した作品として見ることができるんです。過去と現在の戦争の苦しみに向き合いつつ、ユーモアに満ちた仲間との交流の旅が、空っぽの心を埋めていく温かい友情の物語を作り上げようとしたんだと思う。そして、誰もが鮮烈な記憶を持ち続けているであろう2003年12月にすることで、時宜を得なくても、時代を超えて人びとの心に突き刺さる作品に仕上げていったということだと思う。。。

 男一人、ノーフォークの片隅で、酒浸りになりながらバーを営むサル(ブライアン・クランストン)と、かつては破天荒だったミューラー(ローレンス・フィッシュバーン)、現在は牧師として教会を運営している。この二人の元に、30年間音信不通だった旧友のドク(スティーヴ・カレル)が突然現れる。 二人にドクは、1年前に妻に先立たれたこと、そして2日前に遠いイラクの地で一人息子が戦死したことを打ち明け、亡くなった息子を故郷に連れ帰る旅への同行を依頼する。 バージニア州ノーフォークから出発した彼らの旅は、時にテロリストに間違われるなどのトラブルに見舞われながら、故郷のポーツマスへと向かう……。

 冒頭に出てくる薄暗く寂れた酒場。サルはどうして自堕落で刹那的な生き方をしているのだろうか?今は立派に立ち直ったミューラーもまた、妻とめぐり逢うまではアル中のホームレス生活を送っていたらしい。帰還後の彼等をそこまで落とし込めた原因は一体何だったのだろう?

 答えは彼等の会話の中にある。ドクの要請を無碍に断れないのは彼等が犯した過ちをドクが一人背負ってポーツマス海軍刑務所に収監されたからだ。何をやったかはハッキリ語られないが、話の内容から、ヴェトナムからの帰還が4ヶ月延期された腹いせに医療用のモルヒネでラリっていたことらしい。しかも彼等がモルヒネを使い切ってしまったため、瀕死の重傷を負った仲間が苦しみあえぎながら最期を迎えてしまったということらしい。ドクはその不正使用の責任を取っていたのだった。

 30年ぶりの会話はサルの心にある決意を促す。人生の分岐点で奈落の底に突き落とす原因となった過ちを心底悔いるなかで、死んでいった戦友の家族に真実を語り、自らの罪を贖おうと考えたのだ。その家族の住むボストンで三人は意を決してドアをノックする。

 戦友の登場に嬉々として若かりし息子の話をする老女を前にして、サルは言葉につまり、立派な最期だったと嘘をつくしかなかった……。このシーンは『スモーク』(1995年)のラストに披露される「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」を彷彿とさせる。

 はたして、ありのままの真実を誠実に告げることだけが正義なのだろうか?

  戦争を始める時、国家は嘘で固めた大義名分で人びとを戦場に駆り出す。それはサル自身にふりかかった惨事だけではなく、ドクの息子に起こったことも同様だ。ドーバー空軍基地で遺体と向き合った時に対応した大佐の語る言葉のひとつひとつに滲み出る白々しさ……。世の中を嘘で塗り固めて、善良な庶民を破滅の道に導く体制への怒りで身を震わせていたサルだったが、息子の死を乗り越え、その良き思い出とともに孤独のなかで、ただひたすら死期を待つ老女のおそらく何十年ぶりかに輝いた表情が、真実の告解で赦しを得ようとした自分よがりの行動を躊躇させたのだった……。 

 葬儀の時、儀仗の正装に身を包んだサルとミューラーのなんと凜々しいたたずまい。棺にかけられていた星条旗を丁寧に折りたたみ、ドクに手渡した瞬間、三人に新たな道を歩まんとする決意を見た。

 

 

 

 


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