テレンス・マリックが初めて実在の人物を描いた『名もなき生涯』を公開初日に観てきた。なにしろ殉教者としてカトリック教会により列福された人物であるから、いい加減な作り方は出来なかったんだろうが、本編だけで175分に及ぶ長尺、しかもオーストリアの寒村を舞台にしたヒューマンドラマとあってはなかなか意を決して臨まないと席につけない感じ。 フランツ・イェーガーシュテッターという一人の農夫の生涯 を淡々と描ききっている。

 この人は第二次世界大戦中に良心的兵役拒否を行ったという人らしい。ほとんど注目されてはいなかったが、1964年、アメリカの社会学者ゴードン・ザーンが伝記を発表し、1968年に修道士で高名な平和活動家であるトマス・マートンの著作で取り上げられたことから世間の耳目を集め始めたらしい。折しもモハメド・アリが良心的兵役拒否で裁判にかけられチャンピオンベルトを剥奪されたのが67年。ヴェトナム戦争への米国民の支持率が急降下する時期と符合している。

 本国のオーストリアでTV映画化されたのが71年、つまり、ヴェトナム戦争に対する反戦活動が高まった時期に良心的兵役拒否の先達として脚光を浴び始めたってことだろう。

 1994年にはマサチューセッツ州の平和主義者記念館に良心的兵役拒否に関する彼の言葉を載せた青銅製の銘板が掲げられ、97年にベルリン地方裁判所によって死刑判決が取り消されている。こうした動きのなかで2007年に徳と聖性に優れた聖者に次ぐ福者に列せられることになった。

 何が言いたいのかというと、ギロチンで処刑されたという兵役逃れの一介の農夫を利用した誰かが居るのではと思えるところを感じることだ。確かに時の権力によって殺戮の場に投じられる理不尽に対して抵抗することは並大抵ではないだろう。しかし、従軍した人びとからすれば義務を果たそうとしなかった態度に納得はいかない。地元の戦争祈念施設に名を刻むことを頑なに拒否したことも納得せざるを得ないだろう。

 映画のなかでも必死に説得を試みる村長や弁護士、はたまた判決を下した判事は、それぞれ自己の保身のために言葉を尽くしていたのかい? 彼らは自分の利益を考えてのことではなく、一心にフランツのことを思ってのことだったんじゃないのかなぁ……。 それはアガペ、慈しみそのものだったはずだ。その心情に応えることと、自己の信念を貫き通すことと、どちらに比重を置くべきなんだろう……。

 銃を手に持つことを拒否しながら従軍を希望した『ハクソー・リッジ』のデズモンド・T・ロスとの違いは何なのか? 衛生兵として激戦地に赴き名誉勲章を与えられたロスの心意気との違いは? その沖縄戦に従軍した日米両軍の兵士たちが我が身を捨てて戦い合う暴虐で血まみれた殺戮の戦場に漂う空気。本意ではないが刃を向け合う立場に置かれた者同士に感じてしまう荘厳な雰囲気……。決して戦争を賛美するわけではないが、与えられた立場を全うしようとする気高さ。

 一体、何が正しいのか分からなくなってしまった。

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著者

fat mustache

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