『マザーレス・ブルックリン』を観てきた……。事前になんとか情報を得ようとRottenTomatoやMetacriticにまで目を通したが、どれもそんなに高い評価を与えていなかったので、チョッと不安になりながら扉を開けた。ところがどっこい、自分の感性にピッタリとマッチしたのか、思いのほか満足して映画館を後にすることになった。いつまでも、その余韻に浸っていられるような充実した満足感を得ることができて、幸せな一日となった。

 帰宅後、いろいろ見ていると、シネマンドレイクさんの作っておられるサイトに到着。その博識に感嘆するだけでなく、「トゥレット症候群」についても詳しく解説されていて、とても勉強になりました。

 映画の印象はアメリカン・ノワールとでも言うような重厚で苦み走った大人のドラマっていう感じ。全体のトーンが重苦しく湿り気たっぷりの濃厚な空気に包み込まれているような印象。もともと原作は1999年に設定して書かれたものらしいが、敢えて1950年代にもってきて映像化している。私のような老境の身にも見ることのできなかった大人の世界。なんか憧れと恐怖の入り交じった感情で恐る恐る垣間見る世界……。まったく事情を知るよしもない当時の社会を見せつけられて、のめり込むように細部を注視する時間が続いて、かなりの長尺なのに、アッという間に時間が過ぎていった。会場の入りもそこそこで、確かに若者の姿はとぼしかったけれども、客席まで落ち着いた雰囲気に溢れて、とてもいい時間を過ごすことが出来た。

 監督・脚本・製作・主演と、全てをつとめるエドワード・ノートンも凄い。20年ぶりの監督作品になるらしいが、ここまでずっと温めてきた企画となると、細部に至るまで実に良く行き届いている。なぜ50年代である必要があるのか、主人公の持つチック症の障害はなぜ設定しなければならないのか、市政マシーンによる強引な都市再開発は今でもあるのに、どうしてこの時期か、いろいろ思い巡らしながら考えていくと、自分なりの答えがおぼろげながら定まっていく。

 今日のように、声高にポリティカル・コレクトネスを絶叫しなくても、町にはそれぞれを思いやる気持ちにあふれ、互いの立場を思い計りながら行動する人びとばかりだったということだ。社会の分断を引き起こしているのはポリティカル・コレクトネスに浮かれている進歩的と称する連中自身ではないのか。

 脇を固めるアレック・ボールドウィン、ブルース・ウィリス、ウィレム・デフォーらの重鎮だけでなく、音楽にもウィントン・マルサリスなどが参加しており、とても豪華なディナーを提供されたような気持ちにさせる。

 こんな雰囲気って、どこかで……、そうそう『チャイナ・タウン』だよなぁ。前世紀には良質のサスペンスの定番としてランキングされていた、あの感じが蘇ってきた。どうやら自分は現実の殺伐とした世界から逃避したがっているのかな……。

著者

fat mustache

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