『万引き家族』は是枝裕和監督長編14作目。東京の下町で、犯罪で生計を立てている貧しい一家。ある日、父・治と息子・祥太は万引きの帰り道、凍えている幼い女の子を見つけ、連れて帰る。体じゅうの傷から境遇を察した妻・信代は、家族として受け入れる。 バルムドールを獲るのもうなづけるなかなかの内容。

  『フロリダ・プロジェクト』にも似た底辺の生活を送る人びとを活写するが、レオ・レオニによる絵本「スイミー」を印象的な装置として登場させている所に監督の想いが凝縮されているように思う。持たざる者どうしは何事も欠けることの苦しみを痛感しているから、互いに相手を思いやり、手を携えようと寄り添うようになる。そこにある心地よさを強調することによって現代社会が抱える問題を浮き彫りにしようとしている。

    人との繋がりを観念的にしか捉えられない人びと。理想的な存在にならんとして自分を演技している父親や母親……。家族の本当の想いに気づくことなく、ただ世間体と形式的な生活様式の維持だけが家族への務めであるように錯覚するステロタイプ化した現代人に警鐘を鳴らす。なにか、ここのところの高評価映画はこぞって同じテーマを訴えているように思われてならない。それって僕が偏向しているの ?

   例えば、『幼な子われらに生まれ』も考えさせる作品のひとつ。原作が上梓された20年前から映画化の約束があったらしいが、当時と比べて、一段と家族の崩壊の進んだ現在の状況で、この映画をどのように観るかはかなり難しいと思う。血の繋がらない子どもたちのために努力を惜しまない主人公の振る舞いは、決して心底からの愛情と云う訳ではなく、必死にそうあらんと自分を叱咤して形成されたものだ。だから、行き詰まった時に思わず「子どもを堕ろして離婚しよう !」と口走ってしまう……。

  思春期にさしかからんとする長女の反抗的な態度は努力で造られた父親像の微妙な温度差を敏感に感じ取っているからだろう。 今、この時代にこの映画の持つ意味は、決して子連れで再婚した家庭にだけある現象というものではなく、たとえ、ごく普通のありふれた家族でも、親は本当に子どもを心底愛しているのかを問いかけることだ。

  主人公と同じように必死に取り繕った理想的な父親や母親を演じようとしていると、本来あるべき親子の情や兄弟愛といった本源的な感情を持てずにドラマや小説の中に描かれた場面を観念的に捉えて「あるべき姿」を演じるだけの形式的な擬似「家族」があるだけになってしまう。それを乗り越えるためには映画にあったような「嵐」をくぐり抜けなければならないだろう。

  兄弟どうしの関わりかたは『犬猿』がかなりおもしろい。『ヒメアノ~ル』の吉田恵輔監督がオリジナルストーリーで兄弟姉妹の複雑な関係を綴る人間ドラマ。凶暴な兄・卓司と真面目な弟・和成。印刷所を営む不細工な姉・由利亜と容貌はいいが頭の悪い妹・真子。対照的な2組の愛憎がエスカレートし激しく衝突しあう。

   もはや日本のように物質文明の極致に達したような場所では「家族」なんていう基本的な社会集団すら溶解しているにもかかわらず、なんとかその繋がりを保てないかとあがいている監督の意図が色濃く反映された映画。極端にデフォルメされた対照的な兄弟、姉妹が織りなす愛憎劇のなかで、互いの思いやり、相手のことを考えようとする努力が必要なことを訴えようとしているのだろう。

  家族だからではなく、家族であっても他者への思いやりや、相手の気持ちを理解しようとする努力が必要であること。生きることは努力の連続。放っておけば何とかなるようなものじゃない。

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著者

fat mustache

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