こんな短い文を考えるだけでもなかなか疲れると感じている今日この頃。小説を創り上げる人たちはとてつもない苦悩を強いられていることだろう。私などは、たかがこれだけの分量でも思いが右往左往して前に進めず、思いついたフレーズに固執し過ぎて全体のバランスを見失い、ついには「もうヤメたっ!!」と投げ出すことは数知れず……、つまり、文才に乏しいことを痛感させられる毎日。作家の皆さんの粘り強さと豊かな発想力、無から有を為す力強さに感服するばかりです。

  しかし、世に認められる傑作をものにするには、果たして個人の力だけで済むのでしょうか?

   パトリシア・コーンウェルの大々的なデヴューに翻弄されて「検視官」からの数冊を続けて読んだ時期がありました。デヴュー作で喫煙に未練をみせるどうでもいいプロットとか、物語の上で明らかに端役に終わる人物描写にページを費やしたり、なんか、青っぽい、冗長と感じたものが徐々に洗練されて一気に読みやすくなっていったことが印象に残っています。

  それって、優秀な編集者が相当関わっているってことを示しているように思えてなりません。音楽界のポップスターのように大衆受けを狙って、楽曲も、容貌も、はたまた名前までも思い通りに作り上げるプロデューサーの力量いかんで大当たりする歌手が決まるように、世の潮流を分析してここなら行けるっていう時期に満を持してデヴューさせ、続けざまに続編を刊行して一気にスターダムに押し上げた人たちがいたはずです。

  パトリシアの場合、「検屍官」はアメリカ探偵作家クラブが授与するエドガー賞 処女長編賞と英国推理作家協会が授与するCWA賞 最優秀処女長編賞を受賞。その後同作はシリーズ化されて、日本でも大ベストセラーとなっていきました。なにやら裏に出版界の組織化されたスター養成方法のような巨大な影を感じてしまい、この作家に注目するのを中断したような記憶が蘇りました。

  半年おきくらいに新刊が出るたびに新聞にデカデカと広告をうち、書店の目立つところに平積みさせる手法にまんまとひっかかって購入したことを今では後悔しています。内容に不満があるわけではありません。今でもTVドラマでは検視官が何度も登場してくるキッカケとなった作品ですから妙味は持ち合わせています。でも、売り方があざといッ!! こういうふうにやれば、馬鹿な大衆は食いつくだろうってな感じで振り回されるのはもう結構、これからは自分で見つけるゾっ!! と決意したものです。

  で、それが何の関係があるのかというと、『天才作家の妻-40年目の真実-』がDVD化されました。1月26日の公開でしたが、見逃していました。

  これを観た時、前述の思いが頭をよぎったのです。ノーベル文学賞を受賞した夫に寄り添う妻。その表情がこの映画のキモです。微笑みながらも何か違う……、その発する言葉と裏腹に受賞を心底から祝福しているようには思えません。

  ある時期、夫の作風が劇的に変化して、人の心を揺さぶる傑作を連発し始めるのだそうですが、それは不遇をかこって失職していた時期、略奪婚のようにして一緒になった教え子の妻に支えられていた頃だったのです。その妻が大学に残した唯一の短編を目にしたある記者の男が文体が類似することに興味を持ち始めます。

  そして、いかにも自信ありげに「“影”として彼の伝説作りをすることに、うんざりしているのでは?」と核心をつく質問を浴びせてくるのです。その時の妻の表情。応答は……?  ここからはご覧になって確かめてください。さすがっ、演技派のグレン・クローズ。クローズアップの表情の変化で100分のドラマを魅せます。

 記者を演じるのはクリスチャン・スレーター。親の七光りで役を得てきた問題児。でも、『薔薇の名前』のアドソは役にはまってたけどなぁ……。