チャン・イーモウ監督の”幸せ三部作“に見入っていた頃は、なんと無邪気に純朴可憐な様子に心を奪われていたことか。そのチャン・イーモウ演出による北京オリンピックの開会式を一瞥した時、思いは一変した。あのエゲつない演出に呆れかえり、この国の行く末に不安を感じたことが今や本当になろうとしている。

 ガッチガチの思想統制、誰が観ても有り得ないような忠誠心をムキ出しにした集団演技、「なんじゃ、こりゃ……。」21世紀のこの時代に、よくもまぁこんな弾圧が堂々とTVに映し出され、なんで世界は沈黙を保つのか? 不思議でしょうがなかったことを覚えています。今や中国各地に張り巡らされた防犯カメラは顔認証で特定個人の動向を把握し、ビッグデータで金銭の出し入れどころか生活の全てがコントロールされて共産党の意に反する人びとは行き場を失って、盲従する以外に生きる術を持たないように映ります。

  ところで、『迫り来る嵐』という中国映画が2017年の第30回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、最優秀男優賞(ドアン・イーホン)と最優秀芸術貢献賞を受賞したのだそうです。地方の私にはなかなか観る機会が無かったので、一応興味はあったもののスルーしていました。ようやく2019年1月5日に劇場公開が開始されて、その前評判の高さもあってすぐに劇場に足を運びました。

  その内容は1990年代後半、経済発展に向けて激変する中国社会を背景に、連続殺人事件に刑事気取りで首を突っ込む古い国営製鋼所の警備員の運命と恋の行方を追ったサスペンス仕立てのものでした。

 しかし、以前WOWOWで「ノンフィクションW 独立系映画が映す中国~女性監督ホアン・ジーの闘い~ 」を視聴していた私には老朽化し、寂れ果てようとする工場の様子を額面通りに受け取ることができませんでした。

  当局の指導を振り切って、庶民が抱える本当の問題を衆人に訴えようとあがく独立系映画の人びとは、ありとあらゆる圧力をかいくぐり、わずかな資本で誰もが口をつぐんで声を上げることのできなかった問題をえぐり出そうと必死に活動しています。日本人カメラマンを夫に持つホアン・ジーは肉親による性的虐待を誰にも訴えることができずに大きな心の傷を抱えて苦しんでいる女性に焦点を合わせます。

  自主上映を試みようとすると、徹底的な弾圧が加えられ、わずかに大学構内で学生による秘密上映会を実施するのがやっとという有様。その上映後、「……私もです。」と名乗り出る何人もの女性……。都合の悪いことはトコトン隠蔽して近代化の成果を高らかに強調する政府。

  『迫り来る嵐』はキッチリ検閲を受けている。悲惨な姿も2,30年前の発展するまでの状態として描かれ、苦しいこともあった過去の思い出話と片付けられている。でも、検閲官が見逃した外形にはない部分。あてもなく暮らす人びとの蝕まれた精神、将来への希望を失った心の色は否が応にも画面に溢れ出てくる。

  ただ残念ながら、やりたいことを詰め込みすぎて焦点がボヤけるだけでなく、映像でも印象的なカットを散りばめようとし過ぎてテンポを失ってしまっていた。つまりチョット「青い」。同じ頃に公開された『ヒューマンフロー 大地漂流』にも感じたアザトい雰囲気。きれいに見せようとする演出が過ぎて現実性が損なわれるようなやり方……。映画だから脚色を加えることは当たり前と思っているような空気……。なんとなく資金力の乏しい独立系とは違った映画観を感じてしまう。もっと普通に現実を受け止めて欲しいナァ……。

  独立系映画の旗手ワン・ビン監督の作品、『三姉妹~雲南の子』、『苦い銭』と見比べてみてはいかが? ただし、入手はかなり困難ですゾ。

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著者

fat mustache

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