公開当日に『リチャード・ジュエル』を観た……。近年のイーストウッドは正邪、善悪、好悪といった感覚を超越した禅僧のような趣。何かで読んだが、インタヴュー中に啜ったのが超薄味の日本茶だったとか……。映画作りにみせる旺盛な創作欲とはうらはらに、作品に自らの意思を反映したようなドぎついメッセージ性を極端に排して全てを観客に委ねる姿勢が徹底されている。

 だから、彼の作品を観るのは本当に怖い。鑑賞後に抱く自分の思いは全て今、私が感じていること、そのままなのだ。観る人によって捉え方が極端に変わる、そんな映画だと思う。それは、私の置かれた状況にもよる。どのような面持ちの時に観たかによって鑑賞感は左右される。おそらく、細事に追われて時間を気にするような時には何も感じることのできない凡庸なものに映ってしまう。まぁ、そんな時にわざわざ映画館まで足を運ぶことはないから、どんな理由で観に行ったかによって得るものが違うということなのだ。

 メインのリチャード・ジュエルはかなりの肥満体で風采のあがらない男。なんとなく汗染みたシャツから臭いだす体臭に不快感を覚えそうな人物。近くに寄られると、体型の威圧感と重苦しい動作に息苦しさを感じて後ずさりしてしまいそう……。

 その何となく感じる悪党感とは違って、彼には法執行官への憧れが強く、市民としての義務にも忠実であるようだ。ただ、キャリアが無いことと、おどおどとした物言い。恐らく周囲の人たちが後ずさりするのを敏感に感じて、傷つけまいと言葉を選んで喋ろうとするため、自信なげな口調、何となく何か(本心)を包み隠して対応しているように見える振る舞い。それらが災いして思うような職にはありつけず転々としている状態だった。

 公的機関で用具係をしていた時もしかり。忠実に業務を遂行するだけでなく、より心地よい状態を願って机の中まで探って不足している文房具を補充したり、お気に入りのお菓子を差し入れたり……。これは、もし自分がされている側だったら、トンでもないプライバシー侵害! 絶対、机の鍵をかけ忘れられないと思うだろうし、その行為を褒められようと自慢げに語る姿にたじろいでしまう。

 その彼が公園に仕掛けられた爆弾の第一発見者になり、犯人であるとの疑いをかけられる。FBIがリークしたためマスコミに大々的に取り上げられ、実名報道されてしまう……。

どうやら多くのコメントが公権力の暴虐無尽の振る舞いやメディア・リンチにばかり焦点をあて、それに立ち向かったヒーローとして彼や彼についた弁護士の行動に焦点をあてているが、ならば、前半の描写は何のために必要なのか分かっているのかい。FBIもメディアも非難の対象になるのではない。今、「なんて奴らだッ!!」と彼らに怒りの目で批判しているあんたは、最初のリチャードの振る舞いをどう感じていたんだよ!!

 これは、ふだんの自分の行いを猛省させるやばい映画なのだ。

 良く似た感じのDVDを探そうと思ったんだけれども、自分に降りかかる怖さを感じるものにはなかなかお目にかかることがない。ここは数ヶ月我慢してDVDの発売を待つことにしましょうか。

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著者

fat mustache

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