なかなか重宝な映画館を見つけてしまった。「刈谷日劇」。名鉄刈谷市駅前の昔ながらの佇まいの映画館です。今まで単館上映作品で、見逃してしまった佳作を悔しい思いでスルーしてきて、このブログを起こしたのも、地方在住者にはなかなか見ることのできない映画がDVD化されたものを見つけて紹介したいという思いからでした。いつ発売されるか分からないDVDを待つ時、ただ観たいという思いだけでは見逃す機会も多々あるので、気がついた時にメモっとくことにしていました。

 残念ながら、ようやく観られるようになった時には「どうしても観たい」と思ったあの時の気持ちがなかなか蘇らなくて、購入するどころか、レンタル店で手にすることにも躊躇するようなことがあります。その時その時の気持ちの問題。たまたま感情の高ぶりが偏っている時に感じた欲求は時が経つと収まってしまって貴重な機会を逸することがしばしばでした。それが解決される唯一の手段。私の所からはちょっと遠いが、行けない距離でもありません。楽しみが増えました。

 もう二ヶ月も前に公開された『僕たちは希望という名の列車に乗った』も7月12日から、この劇場にかかることになったので、早速観に行きました。50席ほどの小さなスペースでしたが、なかなか趣があって、最前列のド真ん中にドッシリと座って堪能してきました。

 時は1956年、東ドイツの高校に通うテオとクルトは、列車に乗って訪れた西ベルリン(当時は壁の建設される前)の映画館でハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を目の当たりにする。クラスの中心的な存在である二人は、級友たちに呼びかけて授業中に2分間の黙祷を実行した。それは自由を求めるハンガリー市民に共感した彼らの純粋な哀悼だったのだが、ソ連の影響下に置かれた東ドイツでは“社会主義国家への反逆”と見なされる行為だった……。

  1949年にソヴィエト占領地域に建国されてまだ10年にも満たないこの時期、ドイツ社会主義統一党の独裁体制で国家建設に乗り出したばかり。大学進学を目指す高校に集められた生徒たちは国家中枢機関のエリートに育成されるべく、期待をもって教育されていた。スターリンがポーランド占領時にカティンの森で知識人階級を根絶やしにしたように、ナチの残党を駆逐してしまうと、残されるのは労働者たちだけ、そこで選ばれた何人かが指導的役職に就くが、専門教育の欠如している彼らは党の指導部のメッセンジャーに過ぎない。元の職場の同僚や以前からの知り合いには、権力に尻尾を振る犬野郎と馬鹿にされ、与えられたポストでの運営もままならず、ノーメンクラトゥーラの育成は急務だったのだろう。

 集められた子どもたちの家庭は様々だ。市議会議長の子であるクルト、ただ母親はナチの娘として父親に虐げられている。製鉄所労働者の子、テオ。この父親はスターリン死亡時の暴動に参加して出世の道を断たれている。牧師の養子で、死んだ共産党員であった父を敬愛するエリック。後に彼は尋問の中で父がナチのスパイとして処刑されたことを知ることになる。

  黙祷を提案した首謀者を執拗に探ろうとする調査官たち。その尋問の有様は凄まじく、反逆行為での退学をちらつかせて追い詰めていく。その様子はこれぞ独裁国家の力尽くの民衆支配と思わせるが、どちらの体制も似たり寄ったり、民主的な国でも良く似た事がくり返されている。

  ただ気になる言葉が一つあった。「そんなことしてたら、ただの労働者になってしまう。」ウン? どういうこと? おまえらの国は労働者独裁の理想的国家のはずなんだけど……。肉体労働者を差別する感情がアリアリ。ドイツ人にだけ特有なのか分からないが、彼らの持つ職業ヒエラルヒーの感覚には恐れ入る。いつぞやドイツを訪ねた時、なんのレセプションか忘れたが市主催の会場に集まったお歴々の中にいた運転手をフンと鼻で笑った通訳がいたことを思い出した。だから、現場で働く労働者が慢性的に不足して移民に頼るんだろっ!!

 統一されて体制が変わっても職業による差別意識(当然、民族、人種差別も濃厚に有る)を持ち続けている倫理観に、「こいつらとは付き合いきれんわっ。」という気持ちを強く持ってしまった。どうも本質的なところで彼らとは相容れない何かがあるような気がした。

  ベルリンの壁崩壊直前の監視社会の様子は『善き人のためのソナタ』に詳しい。シュタージによる盗聴はあらゆるところに及ぶが、時には恣意的な動機で行われるものも有り、全ての人が従順に報告を上げていたばかりではなかったことが明らかになる。これも観ておきたいね。もう一つ、『カティンの森』もいいよな。

  

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