TV等で男女平等とか女性解放を声高に唱える人たちの言い分には、どうも賛同しがたい。なにもかも男性と同じように女性が振る舞わなければならないとか、同等の評価をしなければならないとか言われても、性の違いは本源的にその役割に違いがあるはずで、女性を家に縛り付けてきた旧来の悪弊と混同して、すべてを男女一緒にしなければという主張はオカシイと思うんですけど……。

  インド映画と言えば、『ムトゥ 踊るマハラジャ』に代表されるように、一瞬でも現実を忘れさせる超娯楽大作ばかりと思っていましたが、近年は社会派と思われる作品が増えてきました。思わずつぶやいた前言を感じさせるような映画にめぐり逢いました。

 8月に『あなたの名前を呼べたなら』を観てきました。結構入りが良くてチョッとビックリ!いつも観ている劇場はわりと空いていて、自分の感性が世間一般とはズレているのかな?と思ってきましたが、恋愛がらみの話は多くの皆さんの興味を惹くらしい。

 経済発展の著しいインドのムンバイ。農村出身の未亡人ラトナは住み込みのメイドとして建設会社の御曹司アシュヴィンの高級マンションに働いている。アシュヴィンは結婚直前までいっていたが、破断して広大な部屋に一人傷心のまま過ごしている。ある日、ラトナがデザイナーに憧れて、あるお願いをしたことから二人の距離が縮まっていく……。

 マンションの床には大理石が敷き詰められ、超高層の階からは近代的なビル群が一望できる。そんな富裕層と農村出身の寡婦に恋愛感情が生まれるなんて、その生活の一端を垣間見るだけでも絶対に有り得ないと嘆息してしまう。

 上流階級の人びとの間では、ごく自然に英語で会話している。それもいわゆるヒングリッシュではなく、洗練されたネイティヴ英語。ラトナが使うのはムンバイ周辺だけの公用語であるマラーティー語。上にたつ階層はヒンディー語も含めて3種類、4種類の言語(当然文字も含まれる。)をごく自然に使い分けができるようだ。

  ネットで拾った画像ですが、インドの現行紙幣の裏側には多種類の言語が表記されているそうです。その解説は「河童の覗いたインド」から引用されています。南部のドラヴィダ系のタミル語、テルグ語や北部のチベット系まで恐ろしく多様な言語にあふれている13億の国。独立時にヒンドゥー教徒とイスラム教徒を大別してパキスタンと分国しているが、まだ多くのイスラム教徒も1億8000万(ムスリムの人口規模ではインドネシア、パキスタンに次ぐ規模)が居住している。私たちがインド人でイメージするターバンを巻くシク教徒も存在する。

 それを知るだけでも、インドで先進国がやったような国民国家的な統一、統制が可能なようには思えない。その上、経済格差、地域格差の拡大が進む現代で、安易に身分、階級を超えた恋愛が起こり得る可能性を感じることができそうもない。

 つまり、欧米や日本の観衆に共感を得るようなストーリーに仕立てて、今にもインド社会に平等性の一端でも実現するような希望を抱かせるのは、むしろインドを誤解させるきっかけを与えているようにしか思えませんでした。知らないことがてんこ盛りなので、食いつくように観入っていると、現実を見失うようなことになりはしないか心配だ……。

 御曹司を演じている人、なんか見覚えが……、そうだっ! 『裁き』の弁護士だっ! こちらは自殺幇助という訳の分からない罪で告発された民衆歌手の下級審での裁判を描いているが、判事、検事、弁護士の裁判所での振る舞いだけでなく、私生活の一部を描きながら、インド社会の抱える恐ろしく甚大な諸問題を白日のもとに曝け出す。……こちらの方が素直にインドを考えることができそうだ。