ついに『グリーンブック』がDVD化された。この機会にもう一度、黒人問題を考えてみようと思う。最近のトランプ発言はテッパン支持者の保守系白人層の取り込みのためか、かなり過激なものになっているようだ。頻発する銃襲撃事件の根底にも白人至上主義か根強く絡んでいるらしい。

 この夏に観たいくつかの映画は、その分断が経済格差や宗教問題、社会インフラにみる地域格差などの諸問題と人種・民族差別が何重にも絡み合って解きほぐす術が見つからないところまで到達していることを実感させるものばかりだった。社会の分断は行き着くとこまで来ているのか? もはや共属意識や連帯感に浸れる環境は皆無なのか? 将来への希望が希薄化すると、刹那的生き方がカッコ良く見え始め、アイデンティティを失うことになる。そんな時にカリスマ性を帯びた強権的独裁者が現れたら……、歴史は繰り返す、いつぞや目にした総統を名乗る人物はとんでもない戦禍を引き起こしたではないか。その再来を案じる今日この頃である。一体感を希求する気持ちが強くなると、まどろっころしい民主主義にケリをつけて強大な権力下での安定を求めるようになりはしまいか、心配すればキリがない。

 つまり、分断を放置すれば、自らの手で自由や平等の尊い権利を差し出すことになるかも知れないってことなんだけど……。考えすぎかッ!

 第91回アカデミー賞(2019)で作品賞、助演男優賞、脚本賞の三冠に輝いた『グリーンブック』と脚色賞の『ブラック・クランズマン』は似て非なる対照的作品だ。ともに人種差別を扱いながら、根ざすものがまるで違う。前者のなかで、用心棒兼運転手のトニー・リップが家族宛の手紙を書こうとする時、ドクター・シャーリーが添削して温かい内容に仕上げるシーンが象徴するように、教育を施すことで狭量な差別意識が払拭できるみたいに錯覚させたり、北部にたどり着いた時、路上で停車を求めた警官がやさしく対応する場面のように南北での意識の違いを強調するのは、まるで第二次南北戦争の宣戦布告をしているようなものだ。『ミシシッピー・バーニング』と一緒ッ!! 北部諸州にも蔓延していた差別をまるで無かったように描くことは益々こじらせる結果になるだけ。進歩的と称する連中の考えることは甘いゼ!! バカかッ!!

 いかにも理解しているようなそぶりで接する彼らは本質的に差別の構造が分かっていない。まったく一度たりとも人を妬ましく思ったことや、差別的な考えに陥ったことの無い人は別だが、よくよく、その時を振り返ると、自分自身が、なにやらいかんともし難い理不尽な理由で貶められたりした時に、そんな良くない考えが頭をもたげてくるのだ。そうッ、差別されているから差別したくなるのだッ!!

 ヒューマニスト? である進歩的白人はそれが理解できない。なぜなら、彼らはそんな理不尽な思いをしたことのない社会の上澄みで育っているからだッ!!

 もう一度『ヘイト・ユー・ギブ』を観なきゃいけない気分になってきた……。  もうここで止める。

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fat mustache

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