公開日当日に『ワイルドライフ』を観てきました。60年代前半のモンタナの田舎町という設定に、もうすでに郷愁をくすぐられる素材が満載で、「来るよなぁ……」って感じで見入っていました。

  そう、なんか『スタンド・バイ・ミー』に受けた、あの感じが蘇ってきたのです。こちらは1959年のオレゴン州の田舎町が舞台。決して恵まれた家庭環境とは言えない4人の少年の一夜限りの冒険を軸に話が進むのですが、見入ってしまうのは、彼らが交わす会話の中に溢れる心情に共感を覚えるからでしょう。

  軍隊に憧れているテディは、その父の虐待で耳を焼かれてしまった過去を持っている。ところが、従軍によるPTSDに苦しみ粗暴な振る舞いで鼻つまみ者になっている父親の悪口を言われると、大人を相手にも猛然と突っかかる。ストーリーテラーであるゴーディーは敬愛する兄を事故で失い、その死に落胆する両親を間近で見る中で、自分が兄ほど愛されていないと感じ、傷ついている。リーダー役のクリスは正義感に溢れるが、アル中の父親と不良の兄のせいですさんだ家族という烙印を押され、将来への希望を失っている。

  惹かれているのは、それぞれ複雑な家族関係の中で心が離反しても不思議は無いのに、親や兄弟への思慕の感情が言葉の端々に垣間見られるからでしょう。そう、なんやんかや言いながら、家族を思う気持ちを失わない彼らに「そうだよなぁ……。」と共感を覚え、何とはなしに他者を気遣う昔ながらのコミュニティの結びつきに安心感を覚えるからでしょう。

  ドコドコの息子、誰々の弟と呼ばれるのは鬱陶しい半面、気に掛けてもらえることで、深い孤立感を抱かずに過ごすことができます。今、私が渇望しているのは、ひょっとしたらそんな雰囲気、地域にあってほしい見守りのムードかも知れません。ド田舎に住んでいながら、日々薄れていくご近所との関わり、付き合いがドンドン減って3軒先の人の顔すらハッキリ覚えているわけではありません。

  『ワイルドライフ』は14才の少年が、家族に走る亀裂に至る経緯と、その修復に思いを寄せる物語です。あまりに早い結婚で、やり残した思いの強い母親、プライドばかりが高くて、仕事に定着できない父親。父が山火事の消火作業に出稼ぎ仕事で長く留守にすることになり、仕事を求めに出る母、少年もアルバイトを始めることになる。外に出た母に目覚めた解放感。事態は少年の恐れた家族の崩壊へ突き進む。

  映画ポスターとラストシーンの微妙な相違は「ひょっとしたら……。」と微かな修復の希望を抱かせますが、少年の両親に寄せる気持ちに涙をそそられます。

  これって、最近どこかで感じたなぁ、と思ったら『マンチェスター・バイ・ザ・シー』じゃん。どうしても故郷に戻ることのできない男の心情、自らが引き起こした過去の悲劇に苦しみ続ける彼。そして周囲の人びと。言葉のやり取りだけでなく、心の機微までも映し出す画面に思わずのめり込んでいました。

  ひととき置いて、今キーボードを叩いている時、気づいたことがあります。この3つの映画には黒人が一人も出てこないことです。『マンチェスター・バイ・ザ・シー』はボストンのシーンであったかも知れませんが、それぞれの舞台となるド田舎には全く見当たりません。郷愁にひかれる場所は濃密な親近感と共通する倫理観が育まれた白人社会ってことなんでしょうか……。

  

  

著者

fat mustache

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