ようやく映画館に足を向けることができましたッ! コロナ陽性者の数に振り回されながら行動の自制に気遣いしすぎて、自宅に籠もることが多かったこの半年。一体これは何だったんだろう? まだ思い返すには早いだろうが、気になるところではあるに違いない。何を観たのかというと、随分食指が動いてウズウズしながら見逃していた『ルース・エドガー』を掛けている近隣のシネコンがあったので、そこの初回上映に出向くことにした。

 観る前には宣伝の概要から、今日のLGBTやマイノリティとの同化を声高に万人に迫る連中への警鐘か、異文化理解に躓く人びとが内向して閉じこもる恐怖でも描いているのか? と考え、CNNの警官による黒人殺害を絶叫するように喚き散らすバイデン当選キャンペーンへの当てつけか? ぐらいに考えていたが、そのトーンはもっと本源的なものを突いてきている。

 主人公のルースはどうやらアフリカ難民の子どもで、アッパーミドルの白人夫婦、エイミーとピーターの養子となった17歳の高校生。 文武両道に秀で、スピーチやユーモアのセンスにも長けた 誰からも賞賛される模範的な優等生。アメリカの理想を体現したかのような輝かしい振る舞い、アイビーリーグの大学に進学すれば社会を牽引する指導的立場に立つような将来が保証されている。

  そんなルースがある課題のレポートをきっかけに、アフリカ系の女性教師ウィルソンと対立し、彼の順風満帆の日常が大きく揺らぎ出す。ルースが危険な過激思想に染まっていて、同級生への性的暴行事件にも関わったのではないかというウィルソンの衝撃的な“告発”は、ルースの養父母である白人夫婦の胸にも疑念を生じさせていく……。

 ここに関わる全ての人が寛容な気持ちで他者を理解しようと務めているが、それぞれ人には言えない内なる悩みや問題を抱えている。そのことが一見、公平無私、ニュートラルに物事を判断していると思い込んでいるところにバイアスをかけているのでは? と思わせる場面が連続する。救急医であるエイミーは職場でのはつらつとした活躍ぶりとは裏腹に家庭での役割を顧みない。会計士かなにかのピーターは自分の子を持てなかったことに無念さを感じている。キャリアのために出産を拒否されたことが引っかかっているようだ。ウィルソンは家族の問題で頭を悩ましている。なかでも行動障害の妹の振る舞いに辟易とし、家族との縁を断ち切りたがっているように見える。

 そんな三人の見せる何気ない仕草……。一瞬の表情の変化や眼差しの奧に拡がる疑念……。

 ルースの正体云々より周囲の大人の中に拡がる不安。これこそ、この映画の妙味。ナイジェリア出身の監督が常々浴びせられ続ける視線、空気。異世界人を鑑賞するような好奇の目。つまりは金持ちの道楽の一つのようなIOCやUnicefのように慈善を施すという自己満足のために利用される紛争地帯の人びと、あの恥ずかしいUnicefのTVコマーシャルで3000円の寄付に応じた皆さんは10年後にカラシニコフを握る少年兵を直視することができるのかッ!! 真剣に考えろッ!!

 ちなみに父親役のティム・ロスには終末期介護の生々しさを激写した『或る終焉』の時と被って、もの凄くリアリティを感じてしまった。良かったら、一度ご覧おきを……。 

著者

fat mustache

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