やっぱり2週間前に観た『家族を想うとき』について。もう撮らないって言っていなかったっけ、ケン・ローチがまたまた問いかける現代社会の歪み。どうも彼の作品に対する世間の関心は尋常ではなさそうだ。前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』を観たのは京都シネマだったが、思いのほか小さなスクリーンに幻滅。立ち見もでてるのでは? と思わせる満員状態でビックリしたが、今回も伏見ミリオンの比較的大きな劇場だったが、いつの間にやら席が埋まって結構窮屈な思いでの鑑賞となった。

 彼が描き出す社会の片隅や底辺、どの国にも通ずる問題をストレートに訴えかける手法は、なにかがなり立てるように突きつけてくるが、普段、何となく感じていることと相応しているので食いつくように見入っていた……。

 EUに加盟した時、人の往来が自由になる中で、大量に流入したポーランド移民に焦点をあてた『この自由な世界で』(2007)に始まり、イラク戦争に巻き込まれた時の派遣兵の問題に言及した『ルート・アイリッシュ』(2010)、職を得るのもままならない若者の実態に迫った『天使の分け前』(2012)等々……。どの作品でも強烈なメッセージが溢れ出し、私たちが失っていった古き善き秩序への回帰を促すような内容だったと思う。世界を席巻した新自由主義、ネオコン、グローバライゼーション。それらの残党はいまだに跋扈するが、これらが何を目指していたのか? 的確に把握した彼の視点は決してブレることはない。

 ただ、私はその全てに賛成というわけではない。根っからのコミュニストを標榜し、アトリー労働党政権の成立の意義をドキュメンタリー映画化してしまう彼は、決して中立な立場で世間を見ているというわけではなさそうだ。

 世の中、すべての事で明と暗が混在し、何もかもがバラ色の政策(?)、改革なんて、あるわけがないッ!! 良き面があれば、必ずその逆の暗部が存在し、その塩梅を推し量って方向を決めていく。

 なにかを断行すれば、必ず弊害となるものが生まれてくる。その弊害の部分だけをクローズアップすれば、どんな新事業もやらなきゃよかったってことになってしまう。問題を明らかにすることは悪いことではない。その問題をどう解決するかという道筋を考えないと、ただ後ろを振り返ってばかりの停滞を生み出してしまう。宅配業者や訪問介護、取り上げられた問題は日本でも深刻なことだ。でも、その解決に向けた指針を示さなければただぼやいているだけに終わる。

 ここはもう一歩踏み込んで、どう改良すれば良いか、その一端、ヒントだけでも織り込まないと、万人に共感を得てもらえるものにはならないだろう。

 鑑賞後のエレベーターの中で、妙齢の女性が「ラストがどういう意味かわからなかった。なんか腑に落ちない。」なんて隣の中年に語りかけていたが、その彼も「そうだねぇ…。」って。おまえら何を観に来ているんだ!! どうにも行き詰まった主人公が交通事故死で負債をあがなおうと、必至に止める家族を振りほどいて、涙ながらにアクセルを踏むシーン……。それ! わからんかッ!! 平和だよっ!! 日本は。

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著者

fat mustache

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