2014年、『ニューヨーク・タイムズ』にサム・ドルニックの”The Sinaloa Cartel’s 90-Year-Old Drug Mule”という記事が掲載されたのだそうだ。記事が伝えるところによると、園芸家のレオ・シャープは長期にわたってシナロア・カルテルの麻薬の運び屋を秘密裏に務めていた。メキシコからデトロイトへ大量のコカインが運びこまれている。麻薬取締局が必死の捜査の末に掴んだのはたったひとりで大量のコカインを運ぶ伝説の“運び屋”の存在だった。追跡捜査の末、怪しまれないように通常の速度違反のように停車し、警察の前に現れた“運び屋”は、しわくちゃの90才の老人だった……。

   この驚愕の実話を映画化したのが『運び屋』という作品だ。原題の”The Mule”というのは動物のラバのことだと思うが、米語では「運び屋」を意味している。これを『グラン・トリノ』以来、10年ぶりにクリント・イーストウッドが主演と兼任して監督している。

 自身90才に迫らんとする高齢であるが、永年映画界に携わった経験からくるのか、決して強いメッセージを込めた作品にしようとはしていない。青臭い若造どもが声高に何かを訴えんと画面をいじくりまわすのに対して、なんとも淡々と大して抑揚もなく展開される物語。一見すると、ドキュメンタリーと見まがうような筋立て……。これって、劇映画だよなって疑いたくなるほど単調? ホントにそうだろうか……。 

  すべては観る側に委ねられている。画面のそこここに配された様々な事象……。それらは衆目を集めんと刺激的な印象を植え付けるものではなく、話の流れのなかにごく自然と佇むように位置づけられている。

  園芸業で財をなしたアール・ストーン(クリント・イーストウッド)を窮地に陥れたのは、インターネットと物流手段の発達によるダイレクト・マーケティングだった。従来、一定地域内で完結していた商品取引のシステムは多頻度小口物流システムなどの流通基盤の進展で一気に切り崩され、大量の発注に瞬時に対応する大手業者に集約されていく。

  いままで売りにしていた入念な仕上げやこだわりは無視され、ある程度の品質を維持さえすれば良くなり、価格競争だけがクローズアップされる。どこの国でもひしひしと感じている「モノ」に対する感覚のズレ。一定の執着やこだわりが変人扱いされる世の中……。

  振り返ると、ないがしろにした家族からも見放され、孤独な日々を送っている。ある日、男から「車の運転さえすれば金になる」と持ちかけられ、なんなく仕事をこなすが、その仕事はメキシコ犯罪組織によるドラッグの運び屋だった……。 

  金融資本による中産階級の食い潰し、家族をないがしろにしたワーカホリックのなれの果ての無残なな姿に現代社会の抱える問題を反映させている。と思っているのは私だけ?

  抑揚を押さえて淡々と進む画面は、感じる者だけが感じればいい、と立ち止まることなく淡々と流れていく。その平坦ぶりが今日の時代、世相、社会状況を、まるで記録映画のように後生に伝えていくような気がしてならない。血気盛んな若者にはもの足りないだろうが、好悪、善悪、正邪、すべての判断を観客に委ねて、あえてその可否を問わない姿勢は最近の監督作品に明確にあらわれている。

  『アメリカン・スナイパー』、エンドロールで全くの無音で進む実際の葬列シーン……。アメリカではこの映画を好戦的とか、ヒロイズムを強調しすぎだとか、アメリカ万歳イズムだなどといって批判する人たちがいたということが物語るように、観る側の姿が鏡のように映し出されていく。

  どうやら、鑑賞後の自分に「どういうふうに感じたの? 」と、もう一度問いかけ直さないといけないみたいだ……。 

 

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著者

fat mustache

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