またまたNetflixの新作から……。『二人のローマ教皇』っていう会話劇について考えてみたいと思います。例によって町山智浩氏の話の書き起こしから引用しますが、彼が言うようにコメディっぽい雰囲気とか、BL を彷彿とさせる仕草だとかを感じ取ることはできなかったんだけれどもなぁ……。

 人間は誰しも完璧に生きることは決してない。必ず過ちを犯し、判断を見誤る醜態を曝け出し、時としては人としてやってはいけない蛮行や淫行すらやってしまったり、実行寸前まで考えていたりするのが常だ。にもかかわらず、崇敬の念で拝み見る人には完璧な善を要求してしまうのだ。

 アイドルにしたってスポーツアスリートにしたって、恋い焦がれる対象には100パーセント完璧な人格であることを信じてしまう。つまり、そうあって欲しい人格を勝手に作り上げて熱狂的に支援しようとするけれども、その人格は、私が勝手に想像した完全像であって、決して生身の人間ではない。近年では未熟なアイドルの成長を見守るなんていうコアなマニアまで生まれているが、それも自分の思い描いた完成形に至らなかったら、ポイと棄てて次の対象を見つけようとするのだろう。

 人間のうち、最も神に近い存在とされるペテロの後継者たるローマ教皇とて、そのアイドルたちと全く一緒だ。

 日本における皇室、天皇にも言えることだが、崇敬の気持ちを示さない言動や姿勢には囂々たる非難が浴びせられる。13億の信者を持つカトリックの頂点に立つローマ教皇にしたって批判的な映画は上映どころか作ることも許されないだろう。しかし、この映画の凄いところは二人の負の部分を互いに告解する形で描ききっているところだ。

 教皇と言えども、ひとりの人間。その過去には様々に悔やまれる事を抱えていることだろう。しかし、大事なのは、それらの汚点をひたすら忘却したり、隠蔽したりしないで、自分の言葉で包み隠さず聞き手に伝えようとすることなのだ。過去の振り返り。そこで気づく心の弱さや恥ずかしい行い。それらを都合良く脚色せず自分にも言い聞かせるようにありのまま伝えることで、これから為すべきことを感じ取り、確信を持って行動できるようになることなのだ。

 この映画は告解の在り方を語っている。しかも最も神に近い二人が互いに自らの人生を振り返り、その弱き心を悔い改めんとしていることに、思わず涙してしまうのだ。これを観せられた私たちは、自分の行動を静かに振り返りながら、今、あるべき姿を思い浮かべることになるのだ。深いッ!!

 現代のローマ教皇を扱った映画で思い出すのは『法王の旅』(1985)……残念ながら、映画データベースにも出てこない忘れ去られた作品になってしまった…。『ローマ法王の休日』(2012)、そして現ローマ教皇フランシスコを描いた『ローマ法王になる日まで』(2017)ぐらいか、どれもそれなりの感動はあるが、我が身に降り掛かる思いが強いのは本作かナ?

著者

fat mustache

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