公開日(8月3日)当日に『北の果ての小さな村で』を観てきた。関西では月末からかかる所があるようなので、あまり詳しくは書けないと思いますが、取りあえず自分の感じたことをダラダラと書いてみることにします。

 フランス人監督の作品ですからフランス映画ということになるのでしょうが、舞台はデンマーク領グリーンランド。地図上の場所は知ってはいても、実際にどんな景色が拡がっているのか、見たこともない僻地。ただ極北の僻地だとは分かっていたので、この酷暑の時期に目だけでも涼しげに感じられるものが欲しいと思っていたので、真っ先に飛びつきました。

 まず驚いたのは、出演者が実際にそこに生活している本人自身であること。本職の俳優ではなく、ズブの素人が演じている。じゃあ、たどたどしいかと言えば全くそんなことは感じさせない。本当に自然体で事が進んでいく……。なぜ? と思って公式サイトを覗いてみると、この監督は2年の歳月をかけてグリーンランドを見て回り、日常の生活の全てがシンプルに、狩りに出で、食べて、学ぶ……という村人たちが心豊かに暮らしているチニツキラークという小さな寒村をロケ地に選んだんだそうです。

 もちろん、その地にはイヌイトと呼ばれる人びとが文明社会とは距離を置いて、従来からの生活習慣を守りながら生活している。そこの小学校に赴任したデンマーク人教師アンダース・ヴィーデゴーと子どもたちの交流を中心にシナリオを創っていったようです。

 出演者が本人たちであったら、近くのかの国では堂々とドキュメンタリーと銘打って涼しい顔をしているところでしょうが、脚色された部分を少しでも持っていると、これはフィクション! その毅然とした態度に納得させられました。居住する所で本人自身が出演していようと、訴えようとするテーマを持って撮っている以上、これはフィクションということでしょう。

 異文化に暮らす小学生を教育するのは極めて難しいことだと思う。今日の日本においても同様の問題が存在する。以前入院中に同室になった八重山出身の人に聞いた話だが、八重山の人にとって標準語はあまりに隔たった言葉。入学するまでウチナーグチで育った子どもたちは、教師の発する言葉をすぐには理解できず、基礎的な学力の習得に時間がかかってしまうらしい。教える側も何度くり返しても通じないので、もういいやってわけではないのですが、未消化のうちに次の段階に進んでしまうのだそうです。だから、どうしても学力が低くなってしまう……。と語っておられました。わずかな言葉の違いでもそうなるのだから、全く異なる生活習慣の人たちに基礎教育を施そうとするのはとんでもないこと。毎日が失望と悔悟の連続。一日も早く逃れたいと思うのが普通でしょう。

 最初は「現地の言葉を覚えてはならない。」と教えられたアンダースでしたが、その高圧的な態度を現地の家族との交流から改めて敬意を持って接するようになる過程をとても上手に表現しています。

 教えることは教えられること。ともに成長しようとする時、思いもよらない融合が起きて大きな成果や歓びを得ることができます。とても良い時間を過ごしました。

 同じような雰囲気を持ったDVDを探してみると、『ぼくたちのムッシュ・ラザール』でしょうか。

 モントリオールの小学校で起こった教師の自殺事件。教室で首を括った教師の後任に応募してきたのはチュニジア出身の難民。彼には教師の経験はなく、家族を殺された深い悲しみを背負っている。その古めかしいやり方に戸惑う子どもたちだが、時を経るに従って心を通じ合うようになる。難民や移民を受け入れる社会が抱える様々な問題と子どもへの接し方の変化。今日の社会の抱える問題を一つの教室のなかで考えさせる……。

 どちらも何か心に残る作品でした。

  

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著者

fat mustache

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