あの対イスラエル強硬派のアフメドネジャード前イラン大統領の出自がユダヤ系だと言われるように、世界のありとあらゆる所にユダヤ人のネットワークが存在するらしい。我々日本人すら彼らに言わせると失われた十二の支族の一つらしい。それぞれの地域では完全な少数派ではあるが、同じ価値観、生活様式、つまりユダヤ教を信仰する人びとは初めて会った人間でも長年の知己のように振る舞うことができるのだろう。

  厳格な戒律を守ろうとする人びとは様々なタブーのため、就ける仕事が限られてくる。宝石商や金融業、ジャーナリズムにユダヤ系が集中するのもそのためなのだろう。だから、そのネットワークを使って国や地域の隔たりを飛び越えた金融商品の売買や、取引を仲介する職業も成り立つのだろう。 そんな生業のしがない男が面識を得るために、ある政治家に高級 靴をプレゼントしたことをきっかけに、その政治家がイスラエル首相に登りつめたことで得た人生最大の好機。浮かれてしまった彼が自慢げに話した相手が検察官だったために贈賄容疑をかけられ、自ら命を絶つことに……。

  『嘘はフィクサーのはじまり』を観ていると、国と国との交流や断絶も彼らがコントロールしているように思えてきた。しかもその実績は2000年以上に及ぶ。

  ところが、インターネットの普及とおそらく彼らが仕掛けたであろうグローバリゼーションがユダヤ人だけが持ち得た特権を奪い去ろうとしている。今ほど英語が一般化していない時には、互いに通じない言語に依った生活をしていたのだが、インディッシュ語も使えるユダヤの人びとは難なく意思を通じ合えた。しかも、ユダヤ教のカレンダーで生活している彼らは、周辺の多数派キリスト教徒に囲まれていれば、自然と同胞意識を高めて、世界的なネットワークを構築していたに違いない。

 そんな自分たちの振る舞いを冷徹に批判しているのが、この映画のポイント。あまたあるホロコースト関連の映画に何の落ち度も無い淳朴な被害者として描き続けられたユダヤ人。そのイメージを自らの手で修正しようとしているように思える。

 『家へ還ろう』にも同じ匂いが感じとれる。その金銭感覚を辛辣に風刺する会話を物語の所々に散りばめて、すべての行いに同情的ではないことを弁解している。『運命は踊る』も同様。息子の戦死の訃報に接した時の家族の様子に驚愕。もし、これが普通のユダヤ人の思考回路だとしたら、神の存在を最も軽んじているのが彼らではないかっ。この映画ではスノビズムも鼻につく。

 私にはいつまでも受けた仕打ちを執拗に記憶し続け、行動の源泉に怒りや憎しみを配するスタイルに大きな違和感がある! 自らの存在の根幹がそういった激しい感情にあるとしたら、穏やかに日々を過ごす境地に至ることはゼッタイにない。赦しの気持ち、それは時勢に流された諦めの結果ではなく、すべての事柄を穏やかに,受け入れ、ゆったりと生きていくために必要なのでは……。

  ゴメンっ! それってイエスの説いたことだっけ……。

 

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著者

fat mustache

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