このところ良作にお目にかかる機会に恵まれて、なんとも満たされた気持ちで心落ち着いて過ごしている……。大抵の作品は目の当たりにした光景から様々な方向へと思考が飛んで、その映画そのものの言わんとした主題を通り越して、あらぬ方向まで思いを巡らすが、深田晃司監督の『よこがお』は、いささか様子が違っていた。

  かなり注視していたはずなのに交錯した時間軸に気づくのにかなりの時を要してしまったため、冒頭部分の主人公が仕掛ける復讐へのディテール描写に戸惑ってしまった。この監督の絶妙の構成に見事に惑わされ、見終わってしばらくしてから「……あぁ、そうだったんだぁ……」と思わされる始末。まだまだ初心者である私には致し方のないところだが、これぞ映画の醍醐味!! もう一度観てみたいという欲求が頭をもたげてきました。

  他人との関わりが希薄化した現代では、それぞれの人が断片的な自分を見せるだけで付き合うことができてしまう。共に過ごす時間がどんどん短くなり、家族でさえも瞬間、瞬間の積み重ねで相手の心情を量ろうとしている。自分の得たわずかな印象だけで妻や子どもさえも「こう思ってるんだろう」と勝手に推量して、勝手に納得しているのが現状だ。相手が無防備に心情を吐露する場面に遭遇すれば、なるほどその人への理解は深まるだろうが、意図的に隠蔽されたらどうなるのだろう……。

  自分の中の都合の良い部分だけを表に見せている、あるいは、ありたい姿を演じている人を相手にした時、その心底にある部分を見抜くのはなかなか難しい……。ある瞬間、ある場面だけでの付き合いなら、本当に相手を理解するのは不可能なことに違いない。ふと、気を許してホンネに近い話をした時、もし、相手が好意的に受け止めてくれなかったら一体どんなことになるのだろうか……。

  そんな恐怖感を増幅させ、そこに追い打ちをかけるようにマスコミの取材による暴力が殺到し、あらぬ事まで世間に暴露される状況に陥ったら……、自分には到底耐えられそうもない。

  主人公の精一杯の復讐も、結局は不発に終わる。失った物の大きさに絶望しても不思議ではない有様に観る側が呆然と立ちすくむことになる。観終わった時のこの感覚、まさしく深田監督の前作『淵に立つ』で抱いた、あの何とも言えない重苦しさが蘇ってきました。

  あの映画で8年の時の経過がもたらす一家へのとてつもない災禍を表情ひとつで物語った筒井真理子との再タッグ。両作とも「もう一度、観なきゃッ!!」という気持ちが強くなりました。

 

著者

fat mustache

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