スポーツ全般は元来、金持ちの暇つぶしに起源を持つのだろうが、ボール一つで何とでもなるサッカーなんかは、貧しい少年の遊びのように映し出されることが多い。しかし、ウィンタースポーツとなると、話は別だ。気候の問題だけでなく、北米、西欧に選手陣が集中するのは、そのまま世界の趨勢を反映しているように思えてしまう。

  そのウィンタースポーツがらみの対照的な映画が2018年に立て続けに公開された。

  一つは、二度のオリンピック出場を経験しながら、事件の中心人物となってスケート界から追放されたトーニャ・ハーディングの半生を綴る伝記ドラマ、『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』だ。幾ばくか年かさのある者にはナンシー・ケリガン襲撃事件の記憶が鮮明に残っているが、その事件の背景をロング・インタヴューの追想シーンを演じる形で話を進めていく。インタヴューを受けている現在のシーンも役者がエイジング・メイキャップで語っているので、創作でありながら、一種のドキュメンタリーを観ているような感覚で、話の中にのめり込んでしまう……。

  要は、ホワイト・トラッシュと言ってもよい白人低所得者層のセレブスポーツへの無謀な挑戦を軸に、這い上がろうとする彼らが様々な障害のなかで、もがき苦しむ様子を活写している。

  事件のことなど考えもしなかった時から、このトーニャ・ハーディングはなにかとトラブルを起こす人だなぁという印象が強く残っていた。いつぞや、フランスで活躍する日本人が教えるドレスメーカー学院で、強引に自分の事だけを訴えて優先的に個人指導を横取りするお隣の国の人を見かけたが、それと同じ匂い。周りの雰囲気を一切考慮せず、ガンガン自己主張して自分さえよけりゃイイみたいな……。せっかくのホンワカムードをぶち壊しにしてしまう、なんちゅう奴や! 的な見え方がしていました。

  映画では、その背景にある母親の強引な押しつけによるスケートのスタート。口汚く罵るだけでなく、なけなしの金を投資したことに見合う対価を娘に求めるいじましい根性。少し行き詰まると暴力に訴える恋人。彼女の日常が罵声と暴力にまみれて、取り繕うこともままならない凄まじさ。負のスパイラルの典型のように感じられました。

  当然、トーニャの側に立っているので、元恋人やスケート関係者は全否定するが、描きたいのはこの余裕の無さかな? もっとゆったりと日常を過ごす穏やかさが最後まで欠けている。

  一方、この一週間後に公開された『モリーズ・ゲーム』はモーグルのトップアスリートから一転、世界一掛け金の高いポーカー・ゲームの経営者になった実在の女性、モリー・ブルームの栄光と転落を映し出しています。

  一か八かの大金を賭けたギャンブルぐらいにしか生きている実感を得られない大物セレブ。彼に誘われて破滅の道をひた走る人びと……。鬼気迫るポーカーゲームの緊迫感に思わず身が乗り出すが、それだけでなく、モリーと弁護士の言葉の掛け合い、ラスト近くの父親との会話。なんとも切羽詰まった緊張感の漂う壮烈なやり取りに時間を忘れて見入ってしまった。

  公権力に真っ向から立ち向かい、激しく楯突く凜々しいヒロインに共感し、最後にほぼ無罪を勝ち取る姿に喝采を浴びせる米国大衆の様子が目に浮かんできます。ドラッグ片手にギャンブルに狂奔する連中には見向きもせず、公権力の恣意的施行に怒りを露わにするってのはどういうものか。もっと本源的なところに立ち返って考えようよ。

  持っていても持たなくても、金に振り回され、汲々と生きることより、日常の些細な変化や出来事に感動できる余裕が大事だと思うけど……。どっちもどっちだ!!

  

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