Netflix配信の映画で賞取りレースに名乗りをあげている映画に『マリッジ・ストーリー』がある。アダム・ドライバーとスカーレット・ヨハンソンの二人による、結婚生活に葛藤を抱え、離婚に向かっていく姿を描いたヒューマンドラマ。舞台演出家と女優という組み合わせ、クリエイティヴな生業だから普通とはチョッと違うだろう。

 もし、自分がその立場だったら、感情を研ぎ澄まし、主観を確立しておかなければ、個性的な成果を得ることはできないだろう。だから、自分の意思や感情を抑制することなく発露する中で、表現の方法を確立していくに違いない。すると、どうしても周囲の人びとにすれば、自己中心的なイヤな奴ってふうに見られることになってしまいそうだ。全てのアーティストがそうだッとは言わないが、感情を抑制したまま自己表現をすることはできない。そういった仕事の人は、なにがしか激情に身をまかせていると思う……。

 かたや、子どもを授かった時、その一生が幸せであることを願わない人もいないだろう。成長のどの段階にあろうとも、健やかに生きてくれることを一番に考える。彼、彼女が自分自身で最もふさわしい道を歩むことを念願するのだ。

 この夫婦は決して結婚生活に破綻をきたしていたわけではなさそうだ。相手を思いやる気持ちを充分に持ち合わせ、多少のことなら妥協できる器量も持っている。そして二人とも子どもへの愛情ははんぱなく、自立と称して突き放すようなことは決してしない人たちだ。そこにあったのはチョッとした波風。落ち着いて向き合えば、難なく通り過ごせるようなささいな衝突。しかし、仕事の上で自己実現を図りたい欲求と天秤に掛けた時、どうやら仕事を優先してしまったらしい。

 業界の誰もが抱えるジレンマ。恐らく観客である普通の人びと以上に映画、演劇関係者の胸にはグサッと刺さる問題を提起しているのだろう。

 しかも、弁護士に依頼すると事は大げさになり、少しでも有利な結論を得るための技術的な法廷闘争に発展していってしまう。判事の好印象を得るために転居を余儀なくされたり、相手を思いやる言葉を一つ一つ啄むんで冷徹な告発文を作成したり……。いつの間にやら彼らの問題から弁護士同士の実績づくりの闘争に様変わりして進められる離婚訴訟。

 気づいた頃には、もう手遅れ。粛々と進む流れに抗する手立てもないまま、離婚が成立してしまう。この家族、子どもも入れて三人の誰もが傷つき、後悔に苛まれる結果に……。

 こういうテーマの映画は観る機会が少なかったので比較するものを考えにくいが、あえてあげるなら、外からは理想的に見える二組の夫婦の内実が曝かれる『おとなのけんか』、アメリカに入国すると逮捕されるポランスキーが監督のため、NY、ブルックリンでの話をヨーロッパで映すっていうヘンな映画か、『31年目の夫婦げんか』ってとこか。どんな夫婦にも問題は有るってことだよ。もう少し冷静に考えてみれば……。

 

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著者

fat mustache

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